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イギリス
Edward Green(エドワード・グリーン)

Edaward Green4
公式サイトより
1890年、エドワード・グリーン氏はノーザンプトンの小さな工場で紳士用の手作り靴を作り始めました。

Edaward Green
瞬く間に「英国でも稀代の才気煥発な靴職人」として名声を上げることになります。
そのような名声や名誉を得る背景には、彼の美徳を追求する信条や卓越した職人技がありました。
「でき得る限りの上質を求める」という氏の明快な哲学は今日に至るまで続いています。
洗練され、履き心地が良く、頑丈。かつ軽快でスタイリッシュ。
そんな靴一つ一つは、最高級品質のカーフスキンを使い、職人による伝統的な手作業で作られます。
グッドイヤーウェルト製法の靴の最高峰としてエドワード・グリーンは着実に歴史を刻んでいます。

Edaward Green2
それは万国に共通する魅力を持った、一目見ただけで見分けがつく英国の靴です。
エドワード・グリーンの靴はどのようにして作られているのか、その製作過程をご紹介します。
各製作工程に分かれたチームは、経験豊富な職人とその徒弟でグループを組み靴を製作します。

Edaward Green3
注意深く管理された組織内の養成プログラムの下、技術は厳格な独自の標準規格により維持。
それぞれの工程で施された作業の痕跡は、芸術的結晶として製品化された靴に反映されます。
John Lobb(ジョン・ロブ)

John Lobb
公式サイトより
ジョンロブは躍動感のある人生のための靴を提供しています。
イギリスのブーツメーカーであるジョンロブの耐久性の高いデザインは、都市部での通勤や大自然の中での冒険など、人生の旅の軌跡を共に刻みます。
ジョンロブは現在パリのアトリエにてビスポークを、ノーザンプトンのファクトリーでバイリクエストサービスやメンズとウィメンズの既成靴コレクションを製作しています。
150年以上前の創業以来、ジョンロブは革新的な道を歩んできました。
1851年、若き見習いブーツ職人としてコーニッシュ海岸からロンドンまで徒歩で旅をした創業者は、ゴールドラッシュの時代にオーストラリアにも渡り、鉱夫たちが金塊を隠すための、ヒールが空洞になったブーツを作りました。
1863年にロンドンに戻ったジョン・ロブは、英国王室御用達に任命され、1866年にリージェントストリートに初のビスポークのブティックをオープンしました。
その後ジョン・ロブは国際的に存在感を高め、1899年にパリに1号店をオープンしました。
1976年にはエルメスグループの傘下となり、1982年には既成靴のコレクションを発表しました。
今日では、世界19ヵ国に店舗を展開しています。
John Lobb Ltd.は、英国内のビスポーク専門店として現在も創業者の一族により、ロンドンのジェームズストリートで営業しています。
職人の熟練したクラフトマンシップを称え、ジョンロブのデザインには、今もなお、ジョンロブの膨大なアーカイブから発見された職人技とシルエットが取り入れられています。
既製靴のデザインは、ノーサンプトンで190段階の複雑な製造工程を経て作られています。
今日では、テクニカルファブリックの使用やウルトラライトソールの採用など、動きやすさと耐久性を確保するための工夫がなされており、ジョンロブの沿岸での始まりを彷彿とさせるシーフォームブルーやペブルドレザーなど、オーガニックな色調とテクスチャーを融合させています。
真の価値は一生履き続けられる靴にあります。
ジョンロブの機能的でタイムレスな靴は、ブーツからローファー、サンダル、スニーカーまで幅広く展開しています。
ローファーのLopezやダブルバックルシューズのWilliamのようなアイコンモデルと並んでブーツのAlderやスニーカーのFoundryなどのコンテンポラリーなスタイルを取り揃えております。
ジョンロブの靴は、時代を超越した友として人生の旅路に寄り添い、共に歩んでいきます。
Crockett&Jones(クロケット&ジョーンズ)

Crockett&Jones
公式サイトより
クロケット&ジョーンズ社は、1879年にロンドンの北西に車で1時間ほどの場所にある、靴メーカーが多く集まるノーサンプトンという町で創業した靴メーカーです。
チャールズ・ジョーンズ氏と、その義理の兄弟ジェームス・クロケット氏によって設立されました。
現在は4世代目に入り、今でもジョーンズ家のジョナサン・ジョーンズ社長によって経営されております。

Crokett&Jones
1924年には当時のヨーク公(後のジョージ6世)も一目おくほどの高品位な既製靴を製造し、ヨーク公のご訪問も受けております。
その後も1990年には英国における輸出貢献が認められクイーン・アワードも受賞しました。
また、1990年代後半からオンリーショップをロンドンのジャーミン・ストリート、シティー、そしてバーリントンアーケードに出店、さらにはパリにも出店と、積極的なブランド戦略を展開しております。
現在の社長であるジョナサン・ジョーンズは、「これまでの伝統的な靴製造の基本は変えずに、新たなる機械によるスピードと精度を向上させる」事や「その靴がクラシックであっても、形や素材、色等を微妙に変えてファッションとしても楽しめ、10年以上履いても常に趣味のいい靴といわれ続ける靴を作る」と力強く宣言しております。
130年以上変わることのない、その伝統の靴作りの哲学を持ち、それが現在でも受け継がれ、 世界的にも最高級メーカーとしての地位を誇っております。

Crokett&Jones2
最大の特徴は、世界中で最も多くの木型の種類を有する靴メーカーとして、靴作りのデザイン・バリエーションや素材選びについて優れたノウハウを有しているということです。
それは「ポールセン・スコーン」、「ジョージ・クレバリー」、「ジョン・ロブ・パリス」といった伝統的なハンドメイドのビスポーク靴店の靴を高級既製靴ブランドとして製品化させた実績でも評価されております。
また、数々のファッションシーンや有名映画に商品を提供しており、その木型の豊富さから世界中のファッションブランド、セレクトショップからの支持も厚く幅広い世代の方達にご愛用いただいております。
勿論、確かな品質への評価も高く、妥協することない伝統的な靴作りの基本はそのままに、徹底した管理体制の下、1足の靴を作り上げるのに約8週間を要す最高品質の靴を作り続けております。
2013年1月に行われた、チャールズ皇太子による若い世代へ製造業の魅力を伝えるプロモーションツアーにて、靴製造業としては唯一選出されご訪問も受けました。
George Cleverley(ジョージ・クレバリー)

George Cleverley
創業者のジョージ・クレバリーは、1898年にシューズを生産する家計に生まれロンドンのビスポークブランドにてキャリアを積みました。
1958年に自身のブランド<ジョージ クレバリー>をスタートしました。
ロンドンのメイフェアに店舗を構え、ビスポーク靴専門メーカーとして確かな技術とスタイルでその地位を確立しています。
1994年からレディメイド(既製靴)の展開をスタートしています。
Tricker’s(トリッカーズ)

Tricker’s
公式サイトより。
ジョセフ・トリッカー(Joseph Tricker)がイングランド最古の製靴業者であるトリッカーズ社を創業したのは1829年。
ロンドンでロバート・ピール(Robert Peel)が近代警察の礎を築き、アメリカでエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が初めて政策スピーチを行った年でした。
ルイ・ブライユ(Louis Braille)が点字を完成させ、ビクトリア女王が即位する8年前に当たります。
現代世界の誕生、啓蒙時代、社会改革を見届けたトリッカーズが初めて小売注文を受けた当時、世界はそんな時代だったのです。
イングランド中部に位置するノーサンプトンは、製靴業の聖地として知られる街。
その歴史は数百年をさかのぼることになります。
ノーサンプトンで作られた靴は人気が高く、この街には1840年の時点で1821人の靴職人が集まっていました。
ジョセフ・トリッカーの養子ウォルター・ジェームズ・バールトロップ(Walter James Barltrop)は、わずか7歳だった1848年にこのモデルのブーツを試作。
素朴で防水性に優れ、多くのお客様に愛される現在のカントリーブーツの出発点となりました。
社会は1840年にもさまざまな変化を迎え、キュナードのブリタニア号が蒸気船として初めて大西洋を横断。
ネルソン記念柱が建造され、新たなウェストミンスター宮殿に礎石が置かれたのもこの年でした
(奇しくもそれ以来、数多くの政治家がトリッカーズのカントリーブーツを履き、イギリスの歴史を動かしてきました)。
ノーサンプトンのセントマイケルズ通り56-60番地にあるトリッカーズの工場は、1904年に稼働を開始。
ジェームズ・バールトロップが買い付け先のニューヨークから帰国後、20世紀の始まりと共にグッドイヤーウェルト製法マシンがトリッカーズに導入されました。
バールトロップは、この製法が従来のものとまったく違うことをすぐに実感。
この機械の登場により、アッパー(甲革)とインソール(中底)を縫い合わせることが可能になり、同じステッチでアウトソール(表底)に取り付ける必要がなくなりました。
つまり、1829年からトリッカーズが守り続けてきた手縫いの製法だけでなく、機械の力を借りながら、洗練された完成度の高い靴を作ることが可能になったのです。
この機械を開発したチャールズ・グッドイヤーJr.(Charles Goodyear Jr.)は、紳士靴の歴史に新たな章を刻んだ人物として広く知られるようになりました。
ビクトリア朝時代に電化が進んだ結果、グッドイヤーの機械は品質の信頼性と効率性の両面から人気が爆発。
新しい技術を学ぶために、多くの靴製造業者がノーサンプトンから大西洋を渡りました。
このウェルト製法は現在もトリッカーズで使用されており、当時と同じ工場が全行程の製造拠点として稼働中。
「100%メイド・イン・ノーサンプトン」の伝統を守り続けています。
靴の製法は時代と共に変化してきましたが、職人の優れた技巧を生かしつつ、他の追随を許さないシューズやブーツを作り続けていくトリッカーズの理念は一切変わっていません。
トリッカーズのカントリーブーツは初期にモデルチェンジを繰り返した後、現在も親しまれているデザインに落ち着きました。
トリッカーズの防水性と履き心地、耐久性、実用性が、イングランドはもちろん、英国中の農民から信頼を勝ち取ったのも驚くに値しません。
トリッカーズの重厚なブローグシューズ/ブーツも人気を博し、郊外でのウォーキングのみならずタウンユースにフィットする一方、ハンティングシューズとしても広く愛されました。
また、1920年代には優雅なクラシックシューズのミュージアムカーフコレクションが登場し、地方だけでなく都市部の男性から絶大な支持を獲得しました。
1926年といえば、ブルックランズで第1回イギリスグランプリが開催される一方、ジョン・ロジー・ベアード(John Logie Baird)がテレビで初めての遠隔放送に成功。
現女王のエリザベス2世もお生まれになりました。
現在のトリッカーズカントリーブーツには、トリッカーズの評価を確立した製法が忠実に受け継がれています。
その原点は、ウォルター・ジェームズ・バールトロップが7歳で試作した一足のブーツ。
トリッカーズのブーツとシューズは今日、その比類なきクオリティと履き心地、個性と独特な風合いが広く愛されています。
タンニングを改良することで革の強度を高め、耐久性も向上。
さらに製造工程が進化し、信頼性とフィット感、快適性が改善されました。
その結果、足の形状に完璧にフィットする、個性豊かなシューズとブーツが生まれたのです。
オリジナリティあふれるトリッカーズのカントリーシューズ/ブーツを外見だけ模倣した靴を多く見かけますが、その品質、個性、特徴はいまだに他の追随を許しません。
トリッカーズは1989年、ウェールズ公チャールズ殿下により英国王室御用達の栄誉を授かりました。
英国最古の製靴業者であるトリッカーズにとって、2019年は創業190周年という大きな節目の年。
1月28日にはノーサンプトンの工場にウェールズ公をお招きした上で、記念銘板の除幕式を行いました。
1829年の創業以来、クオリティの高いシューズ/ブーツ作りに情熱を注ぐトリッカーズの理念に一切のぶれはありません。
トリッカーズのフットウェアは最初から最後の工程まで、一貫してノーサンプトンの自社工場で作られています。
時代と共に製法が変化しても、これまでトリッカーズの職人たちに受け継がれてきた製靴技術はかたくなに守り続けられています。
190年の歳月を経た今もなお、トリッカーズのブーツとシューズは、その比類なきクオリティと履き心地、個性と独特な風合いが愛され続けているのです。
Alfred Sargent(アルフレッド・サージェント)

Alfred Sargent
1899年にイギリスの革靴の聖地ノーザンプトンにて創業以来、親族経営で4代に渡り伝統の技術と理念を受け継いでいます。
Alfred Sargent(アルフレッド サージェント)は昔から「良いものを安く」が企業理念であり歴史だけにこだわらず、いち早くハンドメイドと機械化の調和を勧めたブランドでもあります。
「良いものを安く提供」する事と「質の高さ」ゆえに世界中の有名ブランドからの制作依頼も多く、「裏方」としてもその名を世界に知らしめています。依頼主としてはラルフローレンや同業のニュー&リングウッド等が特に有名です。
Church’s(チャーチ)
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Church’s(チャーチ)
Church’sは1873年、靴作りの町として有名なノーサンプトンで創業しました。
正統派の英国靴として不動の地位を確立し、欧米のセレブリティや007のジェームズボンドも愛用することで知られています。
チャーチのウェルト・シューズはグッドイヤー・ウェルト製法により、1足あたり250にもおよぶ工程を経て作られています。
Grenson(グレンソン)
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Grenson(グレンソン)
ウィリアム・グリーン(William Green)が創業。ウィリアムは、1835年、イギリスに生まれます。
1866年に自身の工房を設立し、靴とブーツの生産をスタート。
1874年に最初の工場がオープン。
最初の名前は「Green&Son」だったが、それが後に「GRENSON(グレンソン)」となりました。
Cheaney(チーニー)
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Cheaney(チーニー)
公式サイトより。
ノーザンプトン州は英国の高品質な靴作りの地域として有名です。
なぜここで靴産業が発展したのかについては諸説ありますが、1600年代から靴作りに必要な革の原材料が豊富に得られたという説が有力です。
17世紀までは工場というものは無く、一つの場所で靴を作るという組織立った体制が築かれたのは、それから約200年後になってからのことでした。

Cheaney2
創業者のジョセフ・チーニーは「B.Riley社」の工場長として働いていましたが、1886年デズバラにあるステーションロードに「J.Cheaney, Boot & Shoemakers」を構えました。
当時の生産体制は現在とは異なり、多くの働き手はそれぞれの工程に特化し、自宅の庭にある離れなどの場所(SHOP)で工程毎に作業を行なっていました。
幾つかのSHOPでの工程を経た靴は、完成後に集荷所に集められ出荷されましたが、こうして作られた靴は、地元の身近な地域に供給されるだけでした。
第1次世界大戦中、工場は忙しく稼働し、1週間で約2,500足のブーツやシューズを製造。供給先は英国全土に広がり、会社の成長に伴い製造も現代化されながらも、伝統であるハンドクラフトの製法はしっかりと継承していきました。
第2次世界大戦後、創業者の孫ディック・チーニーは海外への供給を展開し、シューメーカーとしての確固たる地位を築いていきました。
1966年にはクイーンズアワード賞を輸出部門で受賞、その後チャーチに買収され「Cheaney of England」として1967年から自社ブランドの販売をスタート。
自社で在庫を抱え販売するスタイルを開始し、地元で成長していきました。
1980年代中頃までには、自社ブランドのシューズ販売と他社ブランドのシューズ生産という2本柱を確立しました。

Cheaney3
その後、2002年ロンドンに旗艦店をオープン、ブランドの認知度は一層増し、2009年にはチャーチ創業家がチャーチ(プラダグループ)からジョセフ チーニーを買収し、再び独立。
1886年創業時と同様に、カッティングからファイナルポリッシュまでのすべての工程をノーザンプトン州で行い、英国伝統のグッドイヤーウェルト製法で新しいスタンダードを作り出すシューメーカーとして、これからも歩み続けていきます。
Master Lloyd(マスター・ロイド)
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Master Lloyd(マスター・ロイド)
日本の英国靴専門店、およびそのオリジナルブランド。
その歴史は1971年に東京・代官山にオープンした英国アンティークショップに始まる。
オーナーの豊田茂雄氏は1951年、東京浅草生まれ。
大学在学中の19歳のとき渡英し、古いものを大切にするイギリスの文化に感銘を受け、帰国後にショップを開店した。
当初は骨董品やアンティーク家具、ヴィンテージ服などを中心に取り扱っていたが、1976年より英国ノーサンプトンのファクトリーにオリジナルシューズを別注するようになる。
そして1980年に日本初の英国紳士靴店として改装オープンした。
Made in Englandながらも、日本人の足に合わせたフィッティングが特徴である。また、一流ファクトリーのアイテムがリーズナブルプライスなのも人気となっている。
Henry Maxwell(ヘンリー・マクスウェル)
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Henry Maxwell(ヘンリー・マクスウェル)
1750年に創業したイギリス最古のビスポーク工房、ヘンリー マクスウェル。
ライディング・ブーツの拍車づくりからスタートし、国王ジョージ4世より皇室ご用達メーカーに認められた。ほどなくしてブーツの製造に入り、ロイヤルファミリーの寵受を受ける。
マクスウェルはステータスとなり、本当に限られた超上流階級のみを顧客としてきた。
ビズポーク工房として、申し分のない経験。間違えなくマニアは飛びつくだろう。
そんな彼らを否定するものではない。
ただ、この靴だけは、靴に興味のなかった人にこそ履いてもらいたい。
そして、伝説を積み重ねた靴にのみ備わるフォルムの美しさと優れた履き心地を実感してほしい。
日本では靴好きとそうでない人の靴に対する思い入れにあまりに温度差がある。
磨きに磨いて部屋に飾ってにんまりとしているのもどうかと思うが、汚れようが底が減ろうがお構いなしというのもいただけない。
マクスウェルが現在、同業のフォースター&サンの傘下にある。築き上げられステータスが足かせになり、経営危機に陥ったためだと言われている。
例えどの傘下になろうともイギリス靴の歴史を礎を築いたことは紛れもない事実である。
Gaziano&Girling(ガジアーノ&ガーリング)

Gaziano&Girling(ガジアーノ&ガーリング)
公式サイトより。
トニー・ガジアーノ氏とディーン・ガーリング氏によって2006年に設立されたブランドは彼らの名前に由来します。ビスポークシューズの世界において、両氏の名前は知れ渡った存在であり、誰もが一緒に何かを作り出すとは思わなかったはずです。
2014年春には、メンズファッションの「聖地」のひとつであるロンドンのサヴィル・ロウに直営店をオープンさせ、またロンドンから電車で一時間ほどの町、ケタリングに新たな自社工場を構え生産するようになりました。
ケタリングにおいて、100年振りとなる靴ブランドの誕生に町が活気づいたほどです。
ガジアーノ&ガーリングの靴は、ビスポークの要素を既製靴に持ち込んだ初めてのブランドであり、自らのアイデンティティーをこのように表現しています。
『クラシック・デザインでありながら、最高級のビスポーク靴とレディー・トゥーウェアー靴を同時に作り出す稀有さ』
Walker&Gunn(ウォーカー&ガン)
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Walker&Gunn(ウォーカー&ガン)
公式サイトより。
今から約90年前のこと、ノーザンプトンに創業したウォーカー&ガン。
19世紀初頭、貴族のためのビスポーク作りから、産業革命後の機械化導入による量産型への変化期を迎え盛栄を極めた英国の靴作り。
やがてそれは第二次世界大戦の後、大量生産型の時代へ。
革新的且つ合理的な製法の影に伝統的な精神を守るウォーカー&ガンの靴作りは駆逐され、一時はその火を消す危機を迎えます。
しかし、現代のクラシカルな靴が再評価を受ける中、ウィリアムとアーサーという進取の気性に富んだ地元有志により、2009年、新生ウォーカー&ガンは再び歩みを進めたのです。
可能なまでに追求された品質とクオリティは然る事ながら、緊緊と伝わる真摯な佇まい。そして、未来へ繋いでいくという精鋭たちの情熱は、名門の新たな歴史に豊かな深みを与えていくに違いありません。
イタリア
Santoni(サントーニ)
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Santoni(サントーニ)
公式サイトより。
イタリアでは、ビジネス、アート、ファミリーはつねに一体のもの。
サントーニはまさに、他の場所では難しいであろうその代表的な存在です。
価値を発展させ、美を生み出す、その土地こそが持つ天性の遺伝子に根ざした、家族経営の企業です。
サントーニにとって、地域はとても大切なものです。そのすべてが始まった場所であり、その発展は伝統に根付いてこそのもの。
そこで得たのは、つねにより良いものを目指す刺激。
このフィロソフィーを礎に、サントーニの職人は伝統と革新を融合し、他にはないアイデンティティーを持つラグジュアリーな商品を生み出しています。
サントーニの美しさは、長きに渡り受け継がれている職人でありながら芸術家とも例え得る、卓越した独自のノウハウを駆使した手作業により創造されています。
サントーニにおいては、職人の手作業こそがすべて。型を作り、組み合わせ、色を付け、そして一点ずつに唯一無二の個性をもたらします。手作業こそサントーニが自らをひとつの製作所と自負する理由です。
その時代の空気を捉えつつも長い年月の使用に耐える“本物”を生み出せるのは、手作業ならではのこと。美とは最終形だけではなく、そのプロセスまでをも含み、それは本物を生み出すための唯一の方法です。
サントーニの美しさは、長きに渡り受け継がれている職人でありながら芸術家とも例え得る、卓越した独自のノウハウを駆使した手作業により創造されています。
サントーニにおいては、職人の手作業こそがすべて。型を作り、組み合わせ、色を付け、そして一点ずつに唯一無二の個性をもたらします。手作業こそサントーニが自らをひとつの製作所と自負する理由です。
その時代の空気を捉えつつも長い年月の使用に耐える“本物”を生み出せるのは、手作業ならではのこと。美とは最終形だけではなく、そのプロセスまでをも含み、それは本物を生み出すための唯一の方法です。
Salvatore Ferragamo(サルヴァトーレ・フェラガモ)
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Salvatore Ferragamo(サルヴァトーレ・フェラガモ)
公式サイトより。
フェラガモの創設者、サルヴァトーレ・フェラガモは、1920年代のハリウッドで「偉大な靴職人」として知られる人物でした。
彼の作る靴は多くの役者や映画関係者たちから高い評価を得ていましたが、「機械ではなく自分の手で靴を作りたい」という思いからイタリアに帰国し、1927年、自身の名を冠したブランドを立ち上げます。
しかし、フェラガモの考えは靴作りの職人たちから理解されず、会社の資金繰りは火の車。
世界大恐慌のあおりを受け倒産を経験するなど、ブランドの道のりは困難を極めるものでした。
それでもくじけなかったフェラガモは、独自の人脈を利用し貴族階級へ向けた靴作りを続けていきます。
次第に評判は世界中に広がっていき、1939年頃になると欧米各国でフェラガモの靴が売られるようになっていきました。
フェラガモは時代の流れを受け入れ、当初は禁じていた機械による靴生産も認めるようになります。
こうした姿勢はフェラガモが亡き後もブランドの理念として引き継がれ、現代ではファッション界を牽引する人気ブランドに成長しています。
A.Testoni(ア・テストーニ)
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A.Testoni(ア・テストーニ)
Fashion Pressより。
1929年、アメデオ・テストーニは、イタリアのボローニャにア・テストーニを創業。紳士靴のビスポークブランド。ア・テストーニの「ア」は創業者、アメデオのイニシャルから由来する。
ボロネーゼ製法という独特な技術により作られる。ボロネーゼ製法とはマッケイ製法を発展させた製法で、ライニング(内張り)とインソール(靴の中敷き)を一体のように縫い合わせる。
半中底を使用しており、柔軟性に富み、足当りが柔らかく、履き心地が良いことが特徴。(バリーもこの手法を採用した靴がある)
一般的に、履き心地の面では、グッドイヤーウェルト製法に劣るが、ボロネーゼ製法の方が、高いデザイン性を追求できると言われている。
デザインを独特なものにするクロコダイルなどのエキゾチックレザーを多く使用している点も特徴。
その他、レザーの切り替え部分を薄く削いで巻き込む技法、フィレットーネなど独特の技法を持つ。
ア・テストーニはこのボロネーゼ製法を伝統的に守り続けている。ブランドとしては、60年代に成長し、アメリカなど、海外展開を進める。
現在はレディース用の靴、バッグ、小物も展開している。
靴では、パンプスやブーツなどが人気。その他、バッグ、財布などレザー製品を取り扱っている。
日本では、銀座に旗艦店を構え、その他高島屋(日本橋・大阪)、三越(日本橋本店)、大丸(神戸)などにショップがある。
Ducal(デュカル)
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Ducal(デュカル)
イタリアのフィレンツェに工房を構える、家族経営の小規模なシューズメーカー。
創業1937年、70年の歴史を持つDUCALは、生産数量は限定されますが、最高級のレザーを使用したコレクションが、創業当初から多くの人を魅了しています。
上品で繊細、エレガントな靴で、創業当初から地元の貴族やフィレンツェを訪れた上流階級を上顧客に持っていました。
Bettanin&Venturi(ベッタニン&ベントゥーリ)
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Bettanin&Venturi(ベッタニン&ベントゥーリ)
1850年創業、160年の歴史を持つイタリア・ヴェローナにあるシューメーカー<BETTANIN & VENTURI(ベッタニン&ベントゥーリ)>。
4代目のジュゼッペ・ベントゥーリ氏を中心に、ノルヴェジェーゼ、グッドイヤー、マッケイと幅広い製法を駆使したデザインの幅と完成度が高さ、そして、靴作りの工程の90%を手作業でつくる「九分仕立て」による丁寧な靴作りを続けています。
<BETTANIN & VENTURI(ベッタニン&ベントゥーリ)>は、ノルべジェーゼの源流で、ベッタニン家にしかできないカデノン製法の技術を唯一継承するブランド。
ベッタニン家に160年伝わる伝統の製法は、ノルヴェジェーゼ製法よりも手間が多く、その製法で仕上げた靴は堅牢かつ、とても高度な手技が必要な技法なのです。
Silvano Lattanzi(シルヴァノ・ラッタンツィ)
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Silvano Lattanzi(シルヴァノ・ラッタンツィ)
革靴ブランド辞典より。
シルバノ・ラッタンジ(Silvano Lattanzi)は、イタリアのマルケ地方に工房を構えています。
イタリアンクラシックスーツブームの代名詞である「クラシコイタリア」を牽引してきた「ジンターラ(ZINTALA)」のトップラインとして世界的な人気を誇っているシルバノ・ラッタンジは、名門と呼ばれています。
一から十まで手で作られた製品は、どこかにムラがあるように思われます。
それは「味」と捉えることもできますし、機械生産では味わえない魅力的な部分でもありますが、シルバノ・ラッタンジにとっての「手作り」は、まったく違った意味を持っています。
「ちょっとした製品の欠陥は手作りの証拠だ」という風潮を嫌い、「上質」とは完璧さ、精密さを求めて作られた靴のことであり、それを実現できる方法こそが「手作り」であると考えています。
たとえ「大量生産が目的ではなく、人間の手作業だけでは正確な仕事ができないから機械を導入している」という理由であっても、工程のどこかに機械を使っていれば、シルバノ・ラッタンジにとっては同じことなのです。
また、イタリア製にこだわりを持ち、イタリア国内にある工房では靴やラスト(木型)、裏地、皮革などの入荷と出荷が行われており、装飾品や細かい金属部品などもすべて、その小さな工房で作られています。
Marini(マリーニ)
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Marini(マリーニ)
1889年にローマで創業した「マリーニ」は、100%手作りによる、ビスポークのシューズブランド。
王道のクラシックスタイルは、クラシコイタリアの装いにも似合ううえ、コンフォタブルな履き心地と美しく年輪を刻む上質な革で、一生を通じて添い遂げられる名品だ。
Stefano Bemer(ステファノ・ベーメル)
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Stefano Bemer(ステファノ・ベーメル)
靴の修理工をしていた創業者、ステファノ・ベーメル氏が1988年にイタリア・フィレンツェで創業した新興ブランド。
古き良き靴を研究し尽くした同氏は以降、ス・ミズーラ(注文靴)、プレタポルテ(高級既製靴)へとクリエーションの幅を広げていきました。
上質でクラシカルな雰囲気と、卓越した技術が生み出す絶妙な履き心地は、伝統的なハンドメイドの技術によるもの。
「革の魔術師」の異名を持つ多彩な素材使いも魅力の一つとなっている。
Lobb’s(ロブス)
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Lobb’s(ロブス)
大量生産しないLOBB’Sの靴は、そのスローライフな職人たちによる手作業で作られています。
LOBB’Sは、受け継がれた技術と情熱をもって生み出された靴を、本当の豊かさ(心とモノと時の大切さ)を知っている大人へお届けします。
靴職人の3代目として生まれたセネカ氏は、幼少の頃から父親に靴作りを叩き込まれ、20歳になるとデザインから製作まで全てを一人でこなすモデリストとして活躍しました。
やがてマレリー社のデザイナーに就任したことで、一躍脚光を浴びるようになりました。
そして’72年に独立し、’74年にロブスを立ち上げた後は、デザイナーとしての発想力・創造力を開花させ、「ビブラムソールのローファー」や「ドライビングシューズ」など、現代ではタウンユースとして確立されているスタイルを次々と発表し、一躍注目のブランドとして目されるようになりました。
近年では、イタリア人の日常履きであるレザースニーカーを再構築し、仕事にも休日にも、大人が履けるスニーカーとして展開しています。
また、ビジネスシューズにおいては、「ブリティッシュ・トラディショナル」を掲げています。それは身嗜みとしての正統性を英国に倣い、現在のスタイルやトレンドを反映させた味付けを、イタリアの縫製技術と色染め加工、そしてモードの国ならではの感性が担うことで実現します。
ライフスタイルが多様化し、年々トレンドが変化する中、 TPOに合わせたスタイルを提案できるのはイタリアンブランドLOBB’Sならではの強みと言えるでしょう。
BOLLINI(ボリーニ)
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BOLLINI(ボリーニ)
World Footwear Galleryより。
1945年、ミラノ郊外に創業したボリーニは、サンプルメーカーとしてイタリア本国のシューズサプライヤーらの間ではよく知られる存在です。
サンプルメーカーとは、あるブランドが新商品を開発するにあたって必要となるサンプルを、そのブランドに代わって製作する専業ファクトリーのことです。
通常なら自社の工場で開発サンプルを作ればいいものを、わざわざこうした専業メーカーに作らせるのはそれなりのメリットがあるからです。
すなわち、サンプルメーカーにはどのような要望にも対応できるフレキシブル性、幅広く高度な技術力、研ぎ澄まされた芸術的センスなどが備わっているため、極めて優れた開発サンプルが期待できるのです。
もっとも、イタリアでもこうした専業メーカーは多くないので、名だたる名門ブランドもボリーニを大いに頼りにしているのです。
こうして培われた繊細な技術と高いセンスを活かし、2002年に自社ブランド ‘’Bollini’’ をデビューさせました。
それはファミリーで営む小さなファクトリーが世界に向けて発信された瞬間でもありました。
ボリーニの職人はわずか5名。生産量は1日30足。主催者のエンリコ氏は50歳代で、これに何名かの若手が加わります。
大量生産を拒み、職人の技術と感性、そして作る喜びから生み出される一足はまさにアートともいえます。
日々伝統を守り、技術を高め、感性を磨き続ける生粋のアルティジャーノが作る靴。それが ‘’Bollini’’ なのです。
Silvano Sassetti(シルヴァノ・サセッティ)
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Silvano Sassetti(シルヴァノ・サセッティ)
1977年シルバノとフィオーレ、兄弟で事業を始める。
シルバノはシューズを作り、フィオーレは広告担当としてシルバノのシューズを宣伝していくことでより多くの顧客を獲得することに成功した。
96年に別々の道を歩みだし、それ以降シルバノは妻と共に自身のシューズを世界中に発信していくこととなる。
ラグジュアリーブランドとのコラボレーションなどを行うことでより彼のシューズは認知されていった。
彼の情熱を継承した息子のアンドレアとエマヌエレが代理店で働き始めると、更にシルバノの手作業の技術、ノウハウ、経験などがより認知され始めた。
彼らの努力もあり「シルバノサセッティ」ブランド自体の売り上げも向上していった。
今でもラルフローレンをはじめとした有名ブランドのシューズつくりを手掛けつつ、日々新たな製法、デザインを生み出していく進化も忘れないイタリアを代表するブランドに成長している。
Francesco Benigno(フランチェスコ・ベニーニョ)
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Francesco Benigno(フランチェスコ・ベニーニョ)
大人になれる本より。
Francesco benigno フランチェスコ・ベニーニョはイタリアのナポリに1926年に創業した歴史ある革靴メーカーです。
クラシコ・イタリア、イタリアの職人らしい靴作りを続けるハンドメイドを多用したブランドで、イタリアシューズらしい芸術的な風合いと美しい仕上がりが特徴です。
日用品の靴というよりは工芸品に近いのがイタリア革靴の特徴ですが、このフランチェスコ・ベニーニョの革靴は値段が抑えられており、サントーニなどの一流メーカーのような風格を持ちながらも手の届く値段であるのが魅力ですね。
またこのFrancesco benigno フランチェスコ・ベニーニョは同じくイタリアの有名な革靴ブランドであるステファノ・ブランキーニのOEMを手がけていたことがあるのでも有名。
Francesco benigno フランチェスコ・ベニーニョの革靴の最も大きな特徴は何より「パティーヌの靴が安く手に入る」ということでしょう。
パティーヌというのは手塗りの染めのことで、色のついていないプレーンな革を使って靴を作り、それを職人がひとつひとつ染めていくというもの。
美しい色むらや個性的で鮮やかな色彩など、風合いの面では非常に良いのですが、それだけに時間と手間がかかります。そのため、高級な革靴でなければあまり見られないディテールになっています。
フランチェスコ・ベニーニョはそのパティーヌをうまく量産に落とし込み、しっかりとした作りでありながらも安くパティーヌを買うことができるブランドとして地位を確立。
革靴ファンの間でもこのコストパフォーマンスの高いパティーヌが非常に評価されています。
靴の作り自体はマッケイ製法で、グッドイヤーウェルト製法ではありませんが、マッケイ製法はサントーニやフェラガモ等いろいろなイタリア製靴に用いられているため、イタリアらしいと言っても良いのかもしれません。
作り自体も5万円周辺の靴とは思えないほどしっかりとしており、細かな縫製から造形そのものまで満足のいくクオリティーです。
Max Verre(マックス・ヴェッレ)
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Max Verre(マックス・ヴェッレ)
公式サイトより。
MAX VERRE【マックス ヴェッレ】は2001年に立ち上げられたイタリアのシューズブランドです。
創業者のマックス・ヴェッレ氏は、一度造船の仕事に就きますが、その後、レザーアイテムのデザイナーに転向。
1993年にレザーウェア専門のリサーチ&デザイン会社を設立し、その2年後にイタリアの老舗シューメーカー、エンドレス社のシューズブランド「プレミアータ(PREMIATA)」の立ち上げに参加したという異色の経歴の持ち主です。
その後も、ボアル・ブランシュやイヴ・サンローランなど、多くの著名なブランドの靴を手掛けます。
2006年には、ファッションブランド「トム・フォード(TOM FORD)」のシューズデザインも手掛けています。
Ferrante(フェランテ)
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Ferrante(フェランテ)
公式サイトより。
1875年ナポリで腕利き靴職人として活躍し、当地で名をはせた「LUIGI FERRANTE / ルイジ・フェランテ」。
彼の親族であるラファエレ氏、ザッカリア氏、アントニオ氏のフェランテ家の3名が第一次世界大戦終結後の1918年にカンパーニャ地方最初のシューメーカーとして設立し、 1976年にルイジ・フェランテの名前を冠し発表されたブランド「Fratelli Ferrante」。
ナポリ近郊カサルヌオヴォの近くにあるフェランテの工房では、一足の靴をひとりの職人が最初から最後まで全工程を作っていき、効率的とはいえませんがこれが創業以来のフェランテのこだわりで昔ながらのナポリの職人気質なのが特徴。
細身でトゥにかけて伸びたシェイプの美しさは、特にスリッポンシューズを一躍スタンダードモデルに押し上げました。
一人の職人が一足と向き合うからこそすべてのシューズに愛情がこもり、細部まで丁寧な仕上がりの製品が生まれます。
高品質素材と伝統的な職人の腕前、そしてコストパフォーマンスの高さで日本でも高く評価され、ビジネスでもカジュアルでも、スニーカーのように気楽に履ける革靴、という今までにないレザーシューズメーカーの立ち位置を確立しています。
Artioli(アルティオリ)
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Artioli(アルティオリ)
Globerより。
アルティオリ(Artioli)はイタリアを代表するマッケイ製法のシューズメーカーです。
創業者であるセヴェリーノ・アルティオリ氏は、地元フェラーラの靴屋で靴職人として働いた後、1945年にミラノの北西に位置するトラダーテで創業しました。
セヴェリーノ氏は、熟練の職人たちと協力して、生産プロセスを改善し革新的なツールを発明することで、すぐに頭角を現しました。
アンドレア・アルティオリは1990年に「アンドレア・バイ・アルティオリ」というカジュアルラインを発表しました。
アンドレアは靴とコーディネートできるよう、財布やバッグ、スーツケース、グローブ、ジャケット、コートに加え、靴と同じ革を使用した高価なバックル付きのベルトも製作しました。
このコレクションはエレガントかつ上品で、洗練されたマナーを身に着けた男性に着てもらうことをターゲットとして発表されました。
新ラインである「Years 2010」の発売時には、永年の研究や調査、実験に基づいた、非常に革新的でテクニカルな製品を発表しました。
アルティオリ家の歴史は、創業者セヴェリーノ・アルティオリから2代目のヴィート・アルティオリ、3代目のアンドレア・アルティオリへと受け継がれました。
純粋な同族経営によって、アルティオリラインは世界的な成功を収めました。
尽きることのない情熱が、長年に渡り優れた審美眼をもつ国際的な人々に評価され、世界の多くの主要都市において、各都市を代表するショップで販売されるようになりました。
ヴィートとアンドレアによるアルティオリの二世代は、本物や一流品を求める男性に身に着けてほしいという同一の願いを持ち、2000年代には共に活躍していました。
アルティオリの名工たちの間では、2世紀に渡り蓄積された知識と経験による、200もの複雑な作業が受け継がれています。
名工たちは、この伝承された知識と経験を、最高のレザーだけを使った靴作りに活かしています。
革の質が高いことで通気性が高まり、ステッチだけで処理した特殊なライニングとソールの素材によって、足を快適な状態に保ちます。
靴の快適性は、柔らかくぜいたくなフロント部分や、全体を形作る補強された先端部、衝撃や体重を吸収する適度な硬さのアーチとヒール部分によって実現させています。
ほとんどのコレクションはマッケイ製法で、エレガントで美しいデザインが特徴です。
爪先はチゼルトゥとよばれる細く鋭角的なラインを得意とし、ワイズは細く、ロングノーズのデザインを基本としています。
価格帯は20万円前後です。
履き心地の良さとエレガントなフォルムに魅せられた顧客は多く、フレッド・アステアやフランク・シナトラ、ショーン・ペン、ロバート・デニーロといった俳優、ブッシュ元米大統領やイラクのフセイン元大統領などの政治家が顧客リストに名を連ねます。
そして故ヨハネ・パウロ二世には創業者のセヴェリーノ・アルティオリが靴を献上しました。
Ermenegildo Zegna(エルメネジルド・ゼニア)
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Ermenegildo Zegna(エルメネジルド・ゼニア)
公式サイトより。
1910年にエルメネジルド ゼニアは、北イタリアの町トリヴェーロで自身の会社を始めました。
その夢は、世界で最も美しいファブリックをつくりだすこと。
以来、Ermenegildo Zegna グループは、イタリアで最もよく知られるダイナミックなファミリー企業の一つに成長しました。
現在会社を率いているのは、3代目の世代であるCEOのギルド・ゼニア、会長のパウロ、そして Fondazione Zegna のプレジデントであるアンナです。
今日、4代目が会社に入社し、さらなるイノベーションを引き続き進めています。
創業者であるエルメネジルド ゼニアは、自然環境の美しさや、人々 – 自社の従業員だけでなく、すべての人々 – の幸福が、企業にとって長期的な成功を収めるうえで欠かせない要素だということを理解していました。
彼は、自分の故郷の街を、そしてこの世界すべてを、より良い場所にしたいと考えていたのです。1930年代、エルメネジルドは人々の暮らしをより豊かにするために、近代的なスイミングプールや学校、病院、そして道路などを自身の街に建設しました。
彼はまた、Lanificio ウール工場を取り巻く丘陵地帯を舞台に、大規模な緑化プロジェクトも立ち上げています。
Zegna ファミリーは、彼のこうした「美の文化」、すなわち環境や地域社会を大切にしていこうとする文化があって初めて、製品の品質の高さも意味を持つのだ、という考え方を、その後も守り続けています。
Zegna は、3つの原則を守ることにより、創業者であるエルメネジルド ゼニアがつくりあげてきた、伝統を大切にしています。
その原則とはすなわち、「長期目標を設定する」、「継続性を守るためにファミリー企業を維持し継続性を守る」、そして「厳格なコーポレートガバナンスシステムにて明示される健全で倫理的なコミットメントを果たしていく」、ということです。
Zegna は、こうして1910年に創業者エルメネジルド ゼニアが打ち立てたビジョンを忠実に受け継ぎながらも、現代の消費者ニーズに対応して絶えず変化を続けているのです。
フランス
J.M.Weston(ジェイエム・ウエストン)
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J.M.Weston(ジェイエム・ウエストン)
革靴倶楽部アイレットより。
創業は、1891年と古く、1891年に南フランスのリモージュで、エドワール・ブランシャール氏が創業しました。 創業時の名称は、創業者の名前に由来する「ブランシャール」。
その後、1927年のパリ出店にともない、「ジェイエムウエストン(J.M.WESTON)」とブランド名を改めました。
この名前「WESTON」の由来は、エドワール氏の息子ユージェーヌ氏がアメリカのマサチューセッツ州ボストン 近郊のウエストンでグッドイヤー製法を学ぶために渡ったことによると言われています。この地名のウエストンがブランド名称となりました。
そして、ジェイエムウエストンは、代表作「180シグニチャーローファー」や、「641ゴルフ」「705チェルシーブーツ」「677ハントダービー」などの名作を次々と生み出してきました。
さらに、2001年からは、気鋭のシューデザイナー、ミッシェル・ペリーによるコレクションの展開を始めます。
このミッシェル・ペリー加入後は、これまで培ってきたクラシックラインに加え、ミッシェル・ペリーによる新ラインと2展開するようになりました。
Berluti(ベルルッティ)
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Berluti(ベルルッティ)
公式サイトより。
アレッサンドロ・ベルルッティが、自身の名を冠した1足の靴を初めて世に送り出してから120年以上の月日が過ぎました。
ベルルッティは創業当初から、ビスポークの世界で培った確かなノウハウを土台に、熟練の技と創造的な才能を独自に組み合わせ、他とは一線を画してきました。
時代とともに変化を遂げる一方で、そのクラフツマンシップの精神は絶えず生き続けています。
ベルルッティの歴史の中でこれからいかなる章が幕を開けようとも、メゾンは、クラフツマンシップの限界にチャレンジし、ファッションのルールを変革し続けていきます。
世界で最も評価されるポップアーティスト、アンディ・ウォーホルは以前、靴ブランドの広告でその名を世に知らしめ、コマーシャルイラストレーターとして成功を収めていました。
ウォーホルは、プライベートにおいて靴に大きな情熱を抱いており、その情熱は、自身のキャリアにおいても影響を与え続けていました。1962年、ウォーホルがビスポークのローファーをあつらえるためにベルルッティの店を訪れたことも、このような理由から自然な成り行きであったのかもしれません。
そして、ウォーホルが描いた靴のスケッチに魂を与えるという任務は、当時まだ若い職人であったオルガ・ベルルッティの手に委ねられました。
オルガ・ベルルッティの創り出した革新的で既成概念を覆すローファーは、ウォーホルの心を捉えました。オルガが選んだのは傷のある皮革でした。
有刺鉄線の張られたフェンスに体をこすりつけるのが好きなききわけのない牛の皮革だと、ウォーホルに伝えたのです。
オルガのローファーは、ウォーホルの反逆精神を魅了し、ウォーホルはそれ以降、ききわけのない動物の皮革しか欲しくないと公言しています。
「アンディ」は今日、メゾンの象徴であり、パーマネント・コレクションの定番となっています。
「アンディ」は、ベルルッティとお客様とのコラボレーション精神を象徴しています。お客様はアーティストであり、ベルルッティは、お客様のビジョンに魂を与えるクラフツマンシップをご提供します。
Corthay(コルテ)
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Corthay(コルテ)
Openersより。
2010年、ニューヨークで開催された「バウハウス近代ワークショップ」で、ピエール・コルテは、バウハウスとコルテの愛称の良さに気づいた。
ともに建築、芸術、そして絵画への愛をもち、“芸術家と職人のあいだには区別がない”という強い理念を掲げている。
革はフランスの歴史的なタンナリーから仕入れ、クロム、ベジタブルで丁寧になめされ、豊かな柔軟性をあたえられる。さらに、革本来の銀面がもつ表情が活きたアニリン仕上げをほどこされているため、使っていくほどに味が出てくる。
フランスが誇るクラフツマンシップを受け継ぐため、パリにある小物専門のアトリエとコラボレーション。
サドルステッチ、ハンドソーンでエッジを補強したアイテム群は、もっとも伝統的な製法で仕上げられた逸品といえる。最終工程では熟練の職人による手作業で磨かれ、色を染め、加熱される。この作業は幾度も繰り返され、完璧なフィニッシュがほどこされる。
このコレクションでは、バウハウスの職人たちへ最高の敬意を表するため、ヴァシリー(ヴァシリー・カンディンスキー)、マルセル(マルセル・ブロイヤー)といった、バウハウスメンバーの名前が各アイテムにつけられてる。
※バウハウス:1919年から1933年までドイツ・ヴァイマルに存在した、工芸、写真、デザインなどを含む美術と建築にかんする教育をおこなった学校。また、その流れを汲む合理主義的、機能主義的な芸術。学校というかたちを失った後も、「バウハウス」という言葉は独自のデザイン理念として現在まで息づいている。
Paraboot(パラブーツ)
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Paraboot(パラブーツ)
diffusionより。
登山靴のエッセンスと、天然ラバーソールの融合から誕生した街履き靴の老舗パラブーツ。
パラブーツを展開するリシャール ポンヴェール社は、
1908年、アルピニストたちが集まるフランス東部の町イゾーで、
レミー・リシャール・ポンヴェールが開いた小さな靴工房から始まりました。
当時から山岳労働者向けの靴を積極的に製作し、
瞬く間に登山靴のリーディングメーカーへと成長したRP社は、
1927年、ブラジルのパラ港から出荷される良質な天然ラテックスを輸入し、
ラバーソールの自社生産を開始します。
レミーはその自社製ソールを使い、
登山靴のエッセンスも取り入れたタウンシューズの新しいブランドをスタート。
それがパラ港にちなみ命名された「パラブーツ」でした。
歴史と伝統あるパラブーツは、
今日も変わらず皆様の足下をサポートし続けています。
歩くための道具に留まらず、それ以上の価値を提供すること。
それがパラブーツの企業理念「Invest in your walk=価値ある歩き」です。
その「歩き」とは、単に「歩く」ことのみならず「人生をともに歩む」ことも意味しています。
タウンシューズながら、パラブーツの多くのモデルは、実は登山靴がルーツ。
例えば、定番商品の「シャンボード」は、ビジネスにも対応できるモデルながら
技術的に極めて難度の高い登山靴向けの「ノルヴェイジャン製法」を、
また、登山靴風の「アヴォリアーズ」では、
そのノルヴェイジャンに同じく登山靴仕様の「ステッチダウン製法」を組み合わせ非常に手の込んだ製法を採用。
結果、ともにタウン用の靴にはオーバースペックに思えるほど堅牢な仕上がりとなり、しかも履き込むほどに心地よく足に馴染みます。
また、両モデルともに山岳救助隊の靴用に開発された木型が使われているため、
足へのストレスが少なく、長時間履いても疲れにくいのも特長です。
しかもソールには天然ラテックスからなるオリジナル製を使用。
濡れたタイル上でも滑らず、大変クッション性に富み、擦り減りにくく型くずれしにくいばかりか
ソール交換も可能なので、末長く履き続けることができます。
このようにタウンユースでありながら、
厳しい自然環境にも対応できる登山靴由来の作りやフォルム、素材などが生かされたパラブーツの靴は、履きやすく、機能的で、雨や雪に強く、堅牢な実用靴。
日常にはもちろんのこと、たとえば旅の1足としても信頼して履いていただけます。
加えて普遍的なデザインなので流行に左右されず、年齢を問わない点も魅力的です。
少々高価に思われるかもしれませんが、
あなたともに人生を末長く「歩む」ことのできるパラブーツの靴は、
きっとお値段以上の「価値ある歩き」をご提供できることでしょう。
Aubercy(オーベルシー)
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Aubercy(オーベルシー)
Fashion Pressより。
レニー・オーベルシーとアンドレア・オーベルシーが、1935年、フランス、パリにて創業。
創業者がイギリスで靴の生産に関する経験を積んでいたこともあり、創業から間もない頃は、イギリスの靴作りの影響を強く受けていた。それにフランスの独特なディテールデザインを加えたものが特徴だった。
50年代半ばに生産工場をイタリアに移し、徐々にイタリアの靴の特徴でもあるデザイン性の強い部分を吸収。
以後、主にイギリスで主流のグッドイヤーウェルト製法(マッケイ製法のものも中にはある)を用い、イタリアのデザイン性を持ち合わせた要素を兼ね備える。
同じフランスの靴のブランド、コルテほどデザイナー色は強くないが、同様に、イギリス、イタリアのよい部分に、フランスの持つ独創的な要素を組み合わせたイメージ。
日本には2000年以降に輸入され、デザイン性が強すぎず、かつ、クラシカルな要素も備えているところが好評を得て、人気のシューズブランドとなっている。
Gerard Sene(ジェラール・セネ)
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Gerard Sene(ジェラール・セネ)
Fuku DBより。
GERARD SENE(ジェラール セネ)とは、パリ在住デザイナーのジェラール・セネ氏によるメンズファッションブランド。
前身ブランド「G.RODSON」の終了と入れ代わる形で1992年にスタートした。
「G.RODSON」は往年のハリウッドスターたちが銀幕内で着用したアイテムを再現したコレクションで人気を博し、「ハリウッドテーラー」や「ハリウッドシューメーカー」などとも呼ばれていたセレブ御用達ブランドである。
1992年に技術ノウハウを持つ下請工場の閉鎖にともなって、ケジメをつけるべくジェラール・セネ氏はブランドを終了させ、代わって自身の名を冠した「GERARD SENE」を立ち上げた。
現在は服中心に取り扱うヴァンドーム店と靴専門のジョルジュ・サンク店の2店舗で展開している。
なお、2011年には日本の商社が「G.RODSON」を復刻させている。
Massaro(マサロ)
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Massaro(マサロ)
「シャネル(CHANEL)」メティエダール・コレクション(Metiers d’Art)の靴を手掛けた「マサロ(Massaro)」は、100年以上にわたり政治家やセレブリティに愛されてきたフランスの老舗ビスポークシューズメーカーだ。
パリ郊外オーベルビリエ(Aubervilliers)にあるアトリエでは、熟練の職人たちが木型に合わせて手作業で靴を作っている。
Hugo&Enzo(ウーゴ&エンツォ)

Hugo&Enzo
革靴ブランド辞典より。
ウーゴ&エンツォ(HUGO&ENZO)は2002年に生まれた新星のシューズブランドです。
生みの親はパリ在住の若手デザイナー、ジョルジ・クーニャ氏。そもそもは、クーニャ氏の父親がフランスの名門ブランド、ベルルッティの靴職人として腕を磨いた後、独立して工房を構えたところからはじまります。
クーニャ氏はその工房にデザイナーとして参加し、その後、プレタとしてウーゴ&エンツォを世に出しました。
ウーゴ&エンツォを手掛けるデザイナー、ジョルジ・クーニャ氏はパリ在住ですが、ウーゴ&エンツォの生産拠点はポルトガルなので、このブランドは「ポルトガルメイドのフランス靴」といえます。
アシンメトリーなデザインや色合いなど、フランス靴らしさを感じさせながらもリーズナブルな価格を実現しています。
ウーゴ&エンツォの大きな特徴の一つに、オパンケ製法が挙げられます。
オパンケ製法とは、ソールの土踏まず部分をアッパーに巻き込み手縫いする製法です。アッパーの面積が小さくなることから、靴全体がスマートな見た目となります。
この独特の製法でウーゴ&エンツォは他にはないスポーティーさを演出しています。
2002年、パリ在住の若手デザイナー、ジョルジ・クーニャ氏がウーゴ&エンツォをスタート。
スイス
Bally(バリー)
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Bally(バリー)
公式サイトより。
1851年にスイスで創業したバリーは、世界的に長い歴史を誇るラグジュアリーブランドの一つとして名を連ねています。
レザーの建築家としての矜持と熟練の靴職人としてのDNAに突き動かされ、歴史に裏付けられたクラフトマンシップと確固たるコンテンポラリーなデザインを融合しています。
その品質こそがすべてを雄弁に物語るという信条の下、時を経ても色褪せない伝統を固く守り続けています。
バリーにとってもっともアイコニックなシューズでさえ、熟練技を要する240もの工程を経て、現在でもスイスにて手作業で制作されています。
創業100周年を祝った1951年、創始者であるカール・フランツの孫マックス・バリーが立ち上げたSCRIBE メンズフォーマルコレクションもその例外ではありません。
バリーは、タイムレスであることに一貫してこだわりつつも、個性を求める姿勢があります。幅広い世代から成る職人チームは、製造拠点であるスイスのカズラーノにて、伝統に則り、きめ細やかな注意を払いつつ、手作業による制作に従事しています。送り出すシューズ、アクセサリー、レディ・トゥ・ウェアのすべては、妥協を許さないこだわりの賜物です。
バリーは、既存の概念を打ち破る、機能性を追求したファッションを生み出しています。
1953年に初のエベレスト登頂を達成したテンジン・ノルゲイが履いたアイコニックなレインディア・ヒマラヤブーツであれ、冬季オリンピックのスイス代表選手団が着用したテクニカルなカーリングシューズであれ、デザインの具現化におけるAIと3Dプロトタイプの活用であれ、多岐にわたる最先端技術を駆使することにより、最大限の可能性を追求しています。
バリーは、常にスイス精神を抱きつつ、世界に対してオープンな心を持っています。
「豊かな生き方のアート」を推進するBally Collectiveのメンバーに始まり、環境活動家兼登山家のダワ・スティーブン・シェルパやジャムリン・ノルゲイに至るまで、都会でも、大自然の中にあっても心地良い拠り所を見出す私たちのネットワークは、裾野が広く、懐の深いバリーの文化を象徴する存在と言えます。
スペイン
Carmina(カルミナ)
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Carmina(カルミナ)
OTOKOMAEより。
クオリティ重視の靴作りで高い評価を集める革靴ブランド、カルミナ。創業者は靴職人の一族に生まれ、かつてヤンコを率いてスペイン靴を現在の価値にまで高めた男。
最高の革靴を作るという志のもと、徹底した品質至上主義でブランド始動から10数年のあいだにトップブランドの仲間入りを果たした。
その製作工程は気が遠くなるほど丁寧で、クラシックシューズの本場である英国靴のグッドイヤーウェルト製法を超えるレベルとも称される。
丈夫な作りはもちろん、豊富なラストから成形されるエレガントな造形美で多くの紳士を虜にしている。
カルミナの始まりは1866年。150年以上という英国の老舗ブランドよりも長い歴史を持つこのブランドは、マティアス・プハーダス(Matías Pujadas)氏がスペイン・マヨルカ島のインカに開いた小さな工房が始まり。
主にオーダーメイドの靴を手がけ、その技術を自分の子供たちへと伝えていた。1905年には息子のマテオ・プハーダス(Mateo Pujadas)氏が跡を継ぎ、当時最新技術だった器械による靴製造を導入。
バレアレス諸島では初となる、グッドイヤーウェルト製法を扱う工場を開設した。
19世紀から靴製造を行ってきたカルミナだが、20世紀中ごろまでは「Sanson’s」というブランドを運営していた。
6世代にも渡る一族経営の中で、特に稀代の才能を持っていたのが創始者の曾孫にあたるホセ・アルバラデホ・プハーダス(Jose Albaladejo Pujadas)氏。
彼は幼少期から靴作りに携わり、その後フィレンツェに渡り修行。
1961年に、スペインで最大の革靴ブランドのひとつとなるヤンコ(Yanko)を設立した。
翌1962年には象徴的な作品カステッラーノローファー(Castellano Loafer)を発表。
1980年代には革靴の生産数が100万足を超える成功を収める。
これによって、ホセ・アルバラデホ氏はスペイン靴の市場価値を飛躍的に高めた人物とまで称されることとなった。
順風満帆だったヤンコだが、90年代に入りブランドの経営方針で内部分裂。
ホセ・アルバラデホ氏は”より高いクオリティの靴を作る”という目標を掲げ、60歳にして新ブランドを設立することを決意する。
そして1997年、彼は妻や息子とともに新ビジネスをスタート。
自身の名と最愛の妻の名を冠したブランド「カルミナ・アルバラデホ・シューメーカー(Carmina Albaladejo Shoemaker)」を創業した。
のちに「カルミナ・シューメーカー」と名を改めたこのブランドは、最初に掲げた理念どおり世界最高のクオリティを誇る革靴で、瞬く間に注目を集める。
1998年に、マドリードに最初のフラッグシップショップをオープン。2003年にはパリ店をオープンし、これを皮切りに国際市場へと進出。
2012年にサンクトペテルブルク、2015年にはシンガポールにも専門店をオープンした。
現在ではスペインだけで7店舗、国外4店舗を構え、アメリカや日本の百貨店にも常連として並ぶ一大ブランドとして今なお世界を魅了している。
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Magnanni(マグナーニ)
1954年、スペインで誕生したMAGNANNI(マグナーニ)。
3世代に渡って靴作りを継承している、スペインを代表する高級紳士靴ブランドです。
芸術的なハンドフィニッシュの色入れやボロネーゼ製法など、高級素材と技術を駆使した、エレガントなスタイルのシューズを提案しています。
Yanko(ヤンコ)
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Yanko(ヤンコ)
time-loverより。
YANKOに創業年は1961年、ホセ・アルバラデホ・プハーダス氏が高級革靴ブランドとしてバレアレス諸島のマリョルカ島で誕生しました。
大元を辿ると1890年、アルバラデホ一族が同族企業として靴の製造を開始したのが始まりです。
1950年代までは”Sanson’s”というブランドに携わっていました。
原材料の製造・調達・設計開発・製造・販売までを一貫しているのが特徴で、ソールも自社開発という徹底ぶりです。
またラスト(木型)も自社で一から削り出しており、日本人向けのラストも開発していることから日本国内でもファンを獲得しています。
ブランドよりも品質重視のメーカーの多くは細部のパーツまで拘っており、ノーサンプトンの”Alfred Sargent(アルフレッドサージェント)”にも通じますね。
1980年に入ると年間100万足の靴を生産するレベルにまで大きくなり、ノーサンプトンを含むヨーロッパ最大手レベルのメーカーに成長。
現在でも衰退することなくアルバラデホ一族が経営を担っています。
またYANKOもお家騒動があったようで、創業者であるプハーダス氏とその息子ラミス氏が離脱してそれぞれ別のブランドをYANKOと同じマリョルカ島で創立しています。
1998年、プハーダス氏は今よりも質の高い靴を作りたいという想いがあり、これがYANKO社内で論争となりました。
プハーダス氏は自分を曲げず「それなら自分は抜けるから後は自由にやるといいよ」と、”CARMINA(カルミナ)”を立ち上げました。この時の彼の年齢は60歳、一生で二つの革靴ブランドを創業した稀有な人物で、彼にとって人生とは革靴を常に想い造り続けることなのでしょう。
80歳を超えた今でもノーサンプトンの革靴に負けないコストパフォーマンスの高い靴を作ってくれています。
そして息子のラミス氏は、父プハーダスが離脱した後YANKOのCEO(最高責任者)となります。
しかしながら父が去った理由と同じく革靴に対する理念の食い違いにより2002年にYANKOを脱退。
弟のアレハンドロ氏と数人の職人を連れて、小さな靴工房”MERRMIN(メルミン)”を創業しました。
起業するにあたりラミス氏は世界中のタンナーを巡り、高品質な革がどのようにできるかを独自に研究し、MERRMINの高品質かつ安価な革靴製造に活かしています。
ラストにも拘りを持ち、元々在籍していたYANKOと同じく自社で削り出してフィット感に優れる形状を追い求めています。
YANKOの革靴製造における特徴は、多くの名ブランドが採用しているグッドイヤー・ウェルテッド製法。
グッドイヤーはノーサンプトンで盛んに用いられた製法ですが発祥はアメリカです。
もともとハンドソーンウェルテッドが発展したもので、職人がやっても機械がやっても精度が変わらない部分は機械に任せたやり方です。
それでも職人の手が必要なので200工程2ヶ月弱掛かることが一般的です。
ウェルト(細革)とインサイドソールに付けられたリブでアッパー(外革)とライニング(内革)を挟み込んで縫い込むことでソールの張り替えることができるので、定期的なメンテナンスさえ怠らなければ半永久的に履き続けることができます。
そしてYANKOの代名詞とも言えるのが”ヨークソール”。複合ソールの意で前面をラバーソール、それより後側をレザーソールと材質が異なるのが特徴です。
YANKOではラバーソールを二重にして耐久性を高めていますが、土踏まずより後ろをレザーにすることで、ソール全体の耐久性・耐水性・通気性を併せ持つ機能性溢れる革靴が仕上がります。
Meermin(メルミン)
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Meermin(メルミン)
公式サイトより。
2002年、ホセ・アルバラデホ・ラミス氏が地中海西部に浮かぶスペインの靴づくりの聖地マヨルカ島にて創業。
ホセ・アルバラデホ・ラミス氏はスペインの古参ブランドのヤンコの創業者であるホセ・アルバラデホ・プハーダス氏の息子である。
ラミス氏自身も長らくヤンコに属していた。
ヤンコの歴史に関わるが、アルバラデホ一族が同族企業として靴の製造を細々と受注して、ブランド化しようとヤンコを創業したのが1961年。
この当時から原材料の製造・調達・設計開発・製造・販売までの流れを一貫した生産方式にこだわり、ソールもラストも自社開発という徹底ぶり。
1980年に入ると年間100万足の靴を生産するレベルに達しヨーロッパ最大手レベルのシューメーカーに成長した。
1998年に創業者でCEOだったプハーダス氏がヤンコを去り、2002年に父親に続いてラミス氏も理念の食い違いによりヤンコを抜けることになり、その後ラミス氏が立ち上げたブランドがメルミンというわけである。
自社でラストを削り、手仕上げを行う小規模の伝統的工房を中心に、国内外の契約工場で幅広い靴作りも行う。グッドイヤーウェルト製法と厳選素材を使う一方、価格は手頃なのも特徴。
また革靴のみならずベルトや財布、キーケース、名刺入れといったレザークラフトも製造しており、これらは高くても1万円後半とコスパに優れており、多くのファンに支持されている。
Cordwainer(コードウェイナー)
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Cordwainer(コードウェイナー)
スペインのCORDWAINER(コードウェイナー)は、ハンサムなフォルムと上質なグッドイヤー製法が特徴です。
ドイツ
Eduard Meier(エドワード・マイヤー)
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Eduard Meier(エドワード・マイヤー)
革靴ブランド辞典より。
エドワード・マイヤー(Eduard Meier)はドイツのシューズブランドです。紳士靴のブランドは歴史が古いものが多いですが、エドワード・マイヤーは400年と、突出して長い歴史を持っています。
当初はビスポークのブランドとして始まりましたが、後にプレタポルテ(既製靴)のモデル展開も行っています。日本ではあまり馴染みがないエドワード・マイヤーですが、ジョンロブやエドワード・グリーンと比較されるほどの品質を持ったブランドです。
エドワード・マイヤーは創業当初から履きやすさを追求し続けてきたブランドです。
1920年代には靴を履いた足の状態を確認できる足透視器を生み出し、靴作りに活用していました。
現在は整形外科医的な見地を採り入れ、左右非対称の「ベドフォーラムラスト」を使用しています。足のウエストを絞り込むようにホールドするのが特徴です。
靴のつま先部分に足の指を動かせる空間ができるため、足に負担がかからない靴に仕上がります。
エドワード・マイヤーは単に快適な靴を制作するメーカーではなく、履きやすさを大事にしながらもドレスシューズとしてのデザインを追求し続けています。
特にパーフォレーション(大小の穴を組み合わせた模様)やメダリオン(靴のつま先部分に付けられた小さい穴でできた模様)の配置は非常に精巧で、美しい仕上がりです。
しかし履くシーンを決して限定しておらず、スーツはもちろんチノパンやジーンズといったラフなスタイルでも合わせられるデザイン性を持っています。
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Heinrich Dinkelacker(ハインリッヒ・ディンケラッカー)
1879年の創業以来130年以上、約30名程のマイスターが靴1足1足を約300の工程をオールハンドメイドで丁寧に作り上げる、ドイツのシューズブランド。
年間生産足数は僅か8000足で、この靴のオーナーになれるのは極少数です。不変的な価値と比類なき作りを有し、『前進する1m毎に心からの享楽を提供する』というブランドマインドを持ち続け、今も靴作りに込めています。
アメリカ
Alden(オールデン)
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Alden(オールデン)
1884年アメリカ・マサチューセッツ州ミドルボロウにおいてカスタムシューメーカーとしてスタートしたアメリカ屈指の老舗シューメーカーであり、アメリカントラディショナルスタイルをリードしてきた最高峰ブランドです。
伝統的な靴作りを貫きながらも、新しい素材や木型等も常に開発しており、現代も進化し続けています。日本で初めてBEAMSが紹介して以来店頭を飾り続けている人気ブランドです。
Allen Edmonds(アレン・エドモンズ)
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Allen Edmonds(アレン・エドモンズ)
Allen Edmonds/アレン・エドモンズは、世界で一番豪華で履き心地の良い、手作りの靴を作りたいという夢を持った一人の靴職人によって、ウィスコンシン州のベルギー(Belgium)という小さな町で創業。
その靴職人が創り出した靴は、釘を使わず、硬い鉄のシャンク(土踏まず部分の芯)も使わない、歩く度に屈曲する足に合わせてフレキシブルに曲がるとても履き心地の良い靴を生み出しました。
現在でも創業当時と変わらず212の工程を経て生産し、最高級の靴を提供し続けています。
Johnston&Murphy(ジョンストン&マーフィー)
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Johnston&Murphy(ジョンストン&マーフィー)
1850年、イギリスからの移民である靴職人ウィリアム・ダドレーがニュージャージー州に店を構える。
その年、フィルモア元大統領に靴を製作して以降、160年以上に渡り、歴代大統領の靴の製作を手掛け、それは今なお続く伝統として継承されている。
1884年、ジェイムス・ジョンストンとウィリアム・マーフィーの二人が経営者,になったことで、“JOHNSTON&NURPHY”が誕生した。
ブランド発祥の地、米国から最高級の素材と工程を経て製作されるインポート商品のほか、国産商品では、日本人向けに製作された木型(ラスト)とハンドソーンウェルト製法で仕上げた“Traditional Line”、独自開発した撥水レザーに微発泡ラバーソールを組み合わせた“Business Line”を展開しています。
Cole Haan(コール・ハーン)
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Cole Haan(コール・ハーン)
1928年に、アメリカのシカゴでトラフトンコール(Trafton Cole )とエディハーン(Eddie Haan)の2人の靴職人により創立。
現在もクラフトマンシップとタイムレスなデザイン、さらに革新的な技術を融合させたライフスタイル アイテムをワールドワイドに展開。
Walk-Over(ウォーク・オーバー)
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Walk-Over(ウォーク・オーバー)
mens.acoustics-webより。
1758年に靴作りを開始したキース社が、1899年にスタートしたブランドがWALK OVER(ウォークオーバー)。
アメリカンカジュアルの象徴的シューズブランドとして確固たる地位を得ていました。
日本では70年代後半に初めて輸入され、当時はアメリカンシューズとしてレッドウィングや
トップサイダーなどとともにシンボル的なブランドとして確立し、一旦その歴史に幕を閉じたが、
2010年に伊ASAP社が商標権を取得することで復活劇を果たしました。
日本
SCOTCH GRAIN(スコッチグレイン)
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SCOTCH GRAIN(スコッチグレイン)
fuku-dbより。
SCOTCH GRAIN(スコッチグレイン)とは、東京下町の靴メーカー「ヒロカワ製靴」が展開する靴ブランド。
商標は靴に使用しているスコットランド伝統の穀物模様の革に由来する。
この伝統革は英国紳士の「”お洒落心”と”本物を愛する精神”」に通じ、そのスピリッツを製品に継承するため商標に採用したとのこと。現在でも大量生産はせず、熟練の職人が一足ずつ作り上げている。
REGAL(リーガル)
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REGAL(リーガル)
shoe-collectionより。
今日まで続くリーガルの革靴を仕立てる技術は、1902年から脈々と受け継がれてきたものです。
一方で、『リーガル (REGAL)』というブランド自体は、1880年のアメリカ・マサチューセッツ州にて誕生しました。
国産高級革靴の代名詞とされることもあるリーガル。
ブランド自体の生まれは、実はアメリカなんです。
リーガルが日本に上陸したのは1961年のこと。その際に紳士靴の生産を任されたのが、既に半世紀以上も靴づくりを続けていた日本製靴株式会社(現・リーガルコーポレーション)でした。
現在は社名をリーガルコーポレーションと改めた日本製靴株式会社によって、靴づくりだけでなく、ブランド全体のかじ取りが行われています。
創業から100年以上続いている、リーガルの靴づくり。
生産コスト削減のため、生産拠点を海外へ移すブランドやメーカーも多い今日。リーガルは「物と想いを一緒に届けたい」という理念の許で、現在も多くの革靴を国内自社工場で仕立てています。
リーガルの特徴は、伝統と革新を柔軟に採り入れる姿勢にあります。
「クラシック革靴としての価値観」と「毎日の足元を任せる便利さ・快適さ」の両取りをしていくリーガル。長く支持を集めてきた理由が、垣間見えますね。
グッドイヤーウェルト製法とは、高級革靴の代名詞とも呼ばれる伝統的な製法のこと。
高度な技術と繊細な工程が要求されますが、リーガルはこのグッドイヤーウェルト製法を革靴つくりに採用しています。
グッドイヤーウェルト製法で仕立て靴は、他の製法の靴に比べて丈夫に仕上がるため、「足を守る」という靴本来の役割を最も堅実に遂行してくれるのです。
大塚製靴

大塚製靴
mens.tasclapより。
1872年に創業した『大塚製靴』は、革靴が将来日本人のライフスタイルに必需品になると考え、西洋靴の技術の取得に邁進。
1882年には皇室御用達として天皇陛下御靴調整を拝命し、その10年後には万博博覧会で金碑を受賞し、創業わずか20年足らずで世界の靴メーカーと技術力で肩を並べるほどに。
1922年には日本でいち早くグッドイヤーウェルト式製靴機械を取り入れ、機械靴の製造をスタートさせました。
そんな『大塚製靴』が創業当初から掲げている理念は、”日本人にとって履き良い靴”を作ること。技術力にさらに磨きをかける同時に、日本人の足に対する知見も深めていきました。
現在も日本人に合った靴を追求しつつ、新しいトレンドなどを取り入れた革靴を世に送り出しています。
三陽山長

三陽山長
公式サイトより。
古来、日本では精緻なものづくりを愛し、
それを巧みに身に着ける感性が育まれてきました。
美しい足元と立ち姿。革靴が常に関心の高い存在であったのも、
この美意識によるものでしょう。
装いの知恵から生み出される粋なディテール。
上質な素材と世界に通用する匠の技。
三陽山長はこれら「美」の要素を連ね、
日本人の感性を生かした紳士の理想像を追求します。
親から子へ、長く愛される極上の一足を。
三陽山長が目指すのは永遠に受け継がれるものづくりです。
宮城興業

宮城興業
公式サイトより。
1941年に創業した我が社は、一貫して国内生産に拘ってきました。
革で靴を作るという文化は、本来歴史的にも伝統的にも西洋のものです。
「革に勝る素材なし、熟練された技に勝る機械なし」という靴作りの哲学は英国のバーカー社から学びました。
そこに日本人特有の勤勉さと探求心、そして感性を持ってすれば西洋のものに負けないものが絶対作れると信じています。
当社の社是の一文に「世界一の靴作りを目指し」とあり
毎朝、社員全員が唱和をしています。 唱和しているといつかは叶うというわけでは決してありません。
具体的に何を持って世界一というのかを理解し、その目標に向かって、
一歩ずつ着実に歩みを進めて行かなければなりません。
では、何を持って世界一と言えるのでしょうか?
規模でしょうか?品質でしょうか?ブランドでしょうか?
当社では、お客様一人一人の満足度と考えています。
靴は飾っておくものではありません。
履いて歩いて、足を守ってくれ、おしゃれとして楽しめるものだと思います。
革は手入れを怠らなければ長い間の使用に耐えるという最大の特徴を生かし、メンテナンスや修理も出来る革靴の良さを伝えて行くことが大切です。
そういう意味では、当社は革靴教の伝道者になって行かなければなりません。
1991年に当社創業50周年を迎えた時にそれらの概念をまとめ「和創良靴」という目的を掲げました。
和には日本らしさという意味と社員全員が力を合わせるという2つの意味があります。
「和を持って良い靴を作る」このことが、世界一の靴作りを目指すコンセプトです。
日本の数多くの製品が、外国で生まれた製品を目標にし改善を加えながら今や凌駕し、世界で愛されています。
きっといつの日か「革靴を作らせたら日本人が一番」と言われる時が来ると信じます。
時代の変化は目まぐるしいものがありますが、お客様の心に響き、長く愛される本物を届けられるよう日々研鑽を積んでいます。
当社のモットーである「開発と挑戦」を続けながら。
UNIONIMPERIAL(ユニオンインペリアル)

UNIONIMPERIAL(ユニオンインペリアル)
公式サイトより。
世界に誇る靴づくり」を目指し、イタリアの靴づくりを日本でいちはやく取り入れたユニオン・ロイヤル伝統の靴づくりを“ ハンドソーン・ウェルテッド製法 ” で再構築。
1972、73、74年にイタリアの国際芸術皮革製品コンテストで日本初のオスカー賞を受賞した「UnionImperial」ブランドをリバイバルして、 2008年Spring/Summerシーズンよりスタートしました。
日本人の足型を研究した木型やハンドフィニッシュなどのテクニックを駆使し、昔ながら手作業により生み出される一足一足はエレガントで履き心地がよく、 美しい輝きとシルエットに仕上がっています。
Perfetto(ペルフェット)
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Perfetto(ペルフェット)
有名シューズメーカーやアパレル、老舗靴店、一流百貨店などのOEM生産を行ってきた中で、様々な製法をこなし高い技術力を培ってきた実力派シューズメーカー「ビナセーコー」。
そのビナセーコーが2007年スタートさせたブランドです。
“Perfetto”とはイタリア語で「完璧」の意味、「完璧な靴作りを目指す」という表明でもあります。
細部にまで拘り、丁寧に作られたペルフェットの靴は快適な履き心地とヨーロッパの雰囲気を取り入れたスタイリッシュなデザイン、高級素材の仕様、繊細で高品質という、いいとこずくめのブランドです。
Madras(マドラス)
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Madras(マドラス)
公式サイトより。
マドラス株式会社は、1921年(大正10年)5月18日の創業以来、
「本物の履き心地 」を求めて、ひたむきに靴作りを続けてきました。
そして2021年に、創立100周年を迎えることが出来ました。
これもひとえに、お客様をはじめとする多くの方々の
永年のご支援ご愛顧の賜物と、厚く御礼申し上げます。
これからも私たちはお客様に喜んで頂けるよう、1足1足丹念に靴を作り続けて参ります。
銀座ヨシノヤ

銀座ヨシノヤ
公式サイトより。
銀座ヨシノヤは明治40年に創業され、現在にいたるまで「お客様とともに」をモットーとして成長し続けてきました。
お客様に喜ばれるものを売る。
その考えは、私たちの社是「三徳主義」の一つ目であります。
常に品格・品質・機能・時代性を重視して製品づくりに努めてきました。
とりわけ「履きよさ」への追求を掲げており、「晴雨兼用シューズ」や外反母趾対応の靴といった、革新的な機能を持つ靴を開発してきたのも当社です。
「ヨシノヤフィッター」とも呼ばれる接客技術を大切にし、IT技術を取り入れた先進的な商品管理システムも採用。業界をリードする企業として、さまざまな取り組みを行っていきます。
私たち銀座ヨシノヤは、独自の「足型タイプ別サイズ表示」を採用しています。
これは、足長・足囲・足幅の3サイズを明記し、従来の足長・足囲のみのサイズ表記よりもずっと精度の高いものとなっています。
これにより、お客様にも履き心地がよいと好評。履きやすさを追求する私たち銀座ヨシノヤならではの特徴です。ほかにも外反母趾を抱えるお客様向けに、クッション性を高めて足をやさしく保護するハルクスバルガスクッションを採用した「YOSHINOYA HV」なども展開。ユーザーの気持ちを考えた製品づくりを行っていることが、当社の誇りです。
42nd Royal Highland(ロイヤルハイランド)
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42nd Royal Highland(ロイヤルハイランド)
公式サイトより。
今から約36年前、英国の妥協なき靴づくりの精神を取り入れた
日本人に合う靴をコンセプトに
42ND ROYAL HIGHLANDをスタート。
オリジナルはもちろん、数多くの有名セレクトショップやアパレルブランドの靴づくりを手掛けながら今日までの技術と経験を培ってきました。
素材を含めゼロから自社で企画・開発という徹底現場主義が42ND ROYAL HIGHLANDの信条です。
伝統を守りつつ、時代を反映させた洒脱な美しさを追求するオリジナルシューズを中心に、今日では海外の同じ視点をもつ靴工場やブランドの日本総代理店として
日本人の感性やリクエストをフィードバックした輸入ブランド商品を展開。
靴を愛するお客様の感性に響くように、あらゆる角度から追求を重ねる―。
そんな真摯な姿勢を守り、常にスペシャルな提案を目指す紳士靴専門店へ、ぜひお越しください。
SHETLAND FOX(シェットランドフォックス)
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SHETLAND FOX(シェットランドフォックス)
公式サイトより。
「靴の美しさ・楽しさとともにアイロニカルなダンディズムを提案します」
シェットランドフォックスは、1982年(昭和57)にデビューしたリーガルコーポレーションのブランドです。
当時のリーガルコーポレーションの前社名である日本製靴が世界に通じる高級自社ブランドとして、主にセレクトショップや海外のシューショップ等で販売を行っておりました。
2009年春に、成熟してきた日本の靴市場において、「ブランドに惑わされない、日本人のための日本製の靴ブランド」として再デビューを果たしました。
日本人の足形を豊富な経験から分析し、外見からではわかりにくいリーガルコーポレーションならではの仕掛けを盛り込み、フィッティングと履き心地の良さを高い次元で実現しております。
流行にとらわれない永く履ける靴、それでいて大人の洒落を忘れずにいたい大人たちの為の靴です。
浅草靴誂(アサクサカチョウ)
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浅草靴誂(アサクサカチョウ)
公式サイトより。
2009年に誕生しました。
浅草を拠点にしていたオークニジャパンの長年培った靴作りのノウハウと仕事が丁寧で器用な日本人の老舗シューズファクトリーによって製造する「MADE IN JAPAN」ブランド。
流行に左右されない普遍的なデザインをベースに、グッドイヤー製法を中心とした伝統的な製法を用いた靴は、長年履き込むほどに深い表情を見せてくれます。
Oriental(オリエンタル)
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Oriental(オリエンタル)
公式サイトより。
2016年に始動したOrientalは、ジャパンメイドのシューズブランドです。
母体であるオリエンタルシューズでは、イタリアやフランスのメーカーと協業しながらグッドイヤー製法の靴を長年手がけてきました。
Orientalではそのグッドイヤー製法を用いながらも木型やマテリアル、フィッティングに対する考え方を改めて見直し、現代の日本人に合うようにアップデート。美しくもあり、快適な履き心地の革靴を作り続けています。
Orientalでは、「Dress」「Classic Casual」「Top Grade」「Women’s」の4つのコレクションをご用意しております。 ビジネススタイルの「Dress」、オンオフ兼用の「Classic Casual」、フラッグシップの「Top Grade」、3つのメンズコレクションに加え、2020年秋から女性にクラシックシューズを楽しんでいただくための「Women’s」コレクションを展開しております。
Orientalの靴には、いくつか特徴的なディティールがあります。
ライフスタイルの変化によって足が薄くなった日本人に合う木型設計をしていること。
フラッグシップのTop Gradeには、ハンドソーンウエルト製法を採用し、履き始めから屈曲性を高めていること。
最も特徴的なことは、つま先のライニングに奈良のタンナーで鞣されたディアスキンを使っていること。
ディアスキンは、優れた伸縮性と柔らかな足あたりで快適な履き心地を約束してくれます。
ファッション的なアプローチを重視するため、美しさへの拘りを強く持っています。
例えば、デザインと木型の造形は、その片方だけが良くても美しい靴にはなりません。
互いにバランスよくマッチすることで美しい靴がうまれます。
しかし、個体差が前提となる革を人の手で立体的に成形していく革靴において、一朝一夕にできることはありません。
そのため、製品化した後も納得のいくまで修正を重ね、日々アップデートし続けております。
FOOT THE COACHER(フット・ザ・コーチャー)
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FOOT THE COACHER(フット・ザ・コーチャー)
cotyleより。
foot the coacher(フット ザ コーチャー)は2000年、竹ヶ原敏之介氏によりメンズシューズブランドとして誕生。
日本国内をはじめ、革の産地で有名なイタリア、フランス、イギリスからも選りすぐりの上質素材を集め作品製作を行う。
1900年代前半に履かれていたワークシューズやデイリーシューズなどをデザインソースに、それらをフットザコーチャーの理念のもと現代風にアレンジした「最上級のカジュアルシューズ」を展開。製法や品質に妥協のない、末永く付き合える製品とブランドの創造を目指す。
卓越したデザイン性とグッドイヤーウェルト製法など、高い品質で定評のあるラインナップ。 国内外のファッションブランドから別注のオファーが絶えない、常にファッションシーンの足元をリードするブランドです
Ethos Club(エトスクラブ)
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Ethos Club(エトスクラブ)
革靴ブランド辞典より。
エトスクラブ(Ethos Club)は、シューズなど海外ブランドのインポーターとして有名な小松義照氏が主宰するシューズブランドです。
日本のものづくり文化を憂慮してエトスクラブを設立したという小松氏が掲げるポリシーは「Made in EDO」。
日本から世界に、日本製の良い靴を送り出そうという意気込みがエトスクラブのポリシーからも伝わってきます。
エトスクラブのラインナップは、オーソドックスなモデルから職人のオリジナリティが溢れるデザイン性の高い靴まで、幅広く用意されています。
カジュアルで若年層向けのライン「ホルモン(Hormon)」もあります。
50年以上も手製靴作りを続けてきた関信義氏は、日本を代表する靴職人の一人です。
海外インポーターとして活躍していた小松氏は、関氏と出会うことでエトスクラブの立ち上げを決意したそうです。
もちろんフルオーダーラインは関信義氏が製作を手がけていましたが、残念ながら引退しているため、今後新しく関氏が手がけるフルオーダーの靴は注文できません。しかし、エトスクラブの世界に通用するデザイン・履き心地・仕立ての良さは多くの靴ファンを魅了し続けています。
1970年代、エトスクラブの主宰兼デザイナー、小松義照氏が海外ブランドのインポーターとして活躍。
1980年代、関氏と出会った小松氏がエトスクラブを設立。「Made in EDO」をポリシーに掲げ、日本のものづくりにこだわったブランド展開を続ける。よりカジュアルでよりリーズナブルな若年層向けのライン「ホルモン(Hormon)」もスタート。