こんにちは、Kajiです。
皮革産業の歴史と日本の産地について書いていきたいと思います。
皮革産業の歴史
江戸時代
江戸時代より皮革産業は栄えてきました。
馬の鞍(くら)や鐙(あぶみ)などの馬具関連、
刀を保護するための武具関連に使われてきました。

Wikipedia
また革を袋として使うなど
現在と同じような使用用途もあったようです。
金唐革(きんからかわ *注1)や文庫革(ぶんこがわ)など
工芸関連にも皮革は使われていました。

皮革用語辞典
革の丈夫さ・強靭さという素材の特性から
皮革が使われていたことがわかります。
*注1
金唐革
イタリアのフィレンツェでルネッサンス最中の1470年頃に壁の装飾用として作られ、日本には寛文2年(1662年)に伝来した。
日本では煙草入れや袋物など生活用品に使用された。基本的な製法は次のとおりである。
下準備:原料は植物タンニン鞣しの子牛革で、下準備として一定の形に裁断し厚さを調整し、伸ばす。銀箔張り:革に糊を塗り、銀箔を一枚ずつ張る。
乾燥:濡れた革がいびつにならないように張り伸ばして乾かす。めのう(瑪瑙)などで表面を磨く。銀が黒くなるのを防ぐために卵白を塗る。
ワニス塗り:ワニスを塗って金色にする。このワニスによって外観や仕上がり感が異なるので秘技とされた。
模様付け:革を加湿してから木型や金型に革の表を当ててプレスし、乾かす。
色づけ:型押しした紋様の山や谷に絵の具で模様づけする。その華麗さから文人、貴人、富裕者に愛好された。江戸時代にはいろいろな呼び名があったが、金唐革という言葉が定着したのは明治になってからである。
(皮革用語辞典より)
明治時代
江戸時代が終わり明治時代にはいると
西洋文化の影響を受けて『革靴』が登場します。
Regal輸入するアイデアもあったそうですが
やはり欧米の革靴は日本人に合わずに
結局は国産の革靴を作ることになります。
この時代に
現在のRegal(リーガル)である「日本製靴株式会社」が誕生します。
他には現在の大塚製靴である大塚商会も作られます。

大塚製靴
明治時代以前には国民全員が下駄を履いていたので
革靴の普及には時間がかかりますが、
靴の輸出までできるレベルにまで成長します。
大正時代
明治時代に革靴が普及され始めると、
どうしてもこれまで持っていた『風呂敷』ではファッション的に合わないことが発覚します。

Yahoo shopping
そこで革の鞄(かばん)も作られ始めます。
旅行鞄など
早くも生産されていたようです。

レッドロック
この頃から
現代のわたしたちが知るように革靴や革製品などが作られていきます。
皮革産業の日本国内産地
日本革市より引用します。
浅草(東京都台東区&墨田区)
メイド・イン・トウキョウの革があることをご存知だろうか。
それも東京の特産品となっている革がある。
それがピッグスキン(豚革)だ。
その他の革の原皮の多くは輸入品であるのに対して、
豚皮は純国産。戦後の豚の畜産増加に伴い、
それまで他の製革を行っていた墨田区エリアのタンナーにもピッグスキンを専門とする工房が増え、
現在では日本を代表する革として世界への輸出もされている。
墨田区・台東区をはじめとした東京下町には、タンナーだけでなく、
革、靴をはじめとした卸問屋街も集積しており、
鞣しから製品製造、流通までを担う東日本を代表する皮革産地として現在でも業界を牽引している。
鞣し、染色、加工、漉きなど専門的な職人・工房が集まっており、
町ぐるみの生産体制がとられてきた。
分業ゆえに手間暇かかるオーダーにも強く、
現在でも小ロットのサンプルをオーダーしたい若手デザイナーたちが通う。
昔堅気の職人魂とトレンドに敏感な若手クリエイターたちのコラボレーションが、
これからのメイド・イン・トウキョウを担っていく。
姫路(兵庫県)
生産量が日本で一番多いのが、兵庫県姫路・たつの地区だ。
大規模の工場から小さな工場まで、扱う種類も実に多様であり、
現在でも200以上の工場が集積している。
日本国内外のレザーコンテストで名を知られるタンナーも多く、
革好きにとってよく知られたエリアだ。
エリア内を流れる豊かな水源は、古くは水路としても活用され、
長きに渡って日本有数の革産地として栄えてきた。
その歴史に裏付けされた誇りと技術が、
若手タンナーにもしっかりと受け継がれ今日でも良質な革が量産されている。
靴、鞄といった皮革製品用の製革だけでなく、家具や工業用の革まで、
長年あらゆる需要に応えてきた。
さらには最先端の技術開発により、
それまでの既成概念を覆すような表情をもつ革も誕生している。
次世代を担うタンナーたちも日本の革の良さをより多くの人に伝えるべく、
皮革製品の制作にもいち早く取り組んでいる。
和歌山
明治維新による近代化にともない軍靴の需要が高まったことで、
それまで和歌山城の堀内で活躍していたタンナーを中心にこの地に西洋沓伝習所が成立し、
近代的なめしが始まった。
それまでの長い時間をかけて培われてきた技術が受け継がれ、
多くのタンナーを有するようになり、和歌山の地場産業となった革づくりだが、
時代の流れに伴いタンナーの数は減少してしまう。
現在残っているタンナーが、
そんな厳しい時代を超えるために身につけたのが、専門性への特化だ。
ヌメ、床、シープ、そして和歌山を代表する仕上げであるエナメル。
分業することで成立する専門的な革も、
和歌山では特化することにより一社で製作管理をしている。
ゆえに他ではラインに乗りづらいオーダーにも対応。
少数精鋭で生き抜いてきた和歌山ならではの強み。
また、タンナー同士の結束力も高く、情報や技術の共有がスムーズで、
現在では和歌山タンナー発信の地域ブランド「きのくにレザー」も発信中。
大阪や東京への供給だけでなく、より地域に根ざしたものづくりにも取り組む。